2020年6月12日金曜日

上杉謙信

四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒
しじゅうくねん  いっすいのゆめ  いちごのえいが  いっぱいのさけ
(49年の生涯は一睡の夢で、築いた栄華も一杯の酒に等しい。)

尊敬する上杉謙信公の有名な辞世の句です。
おそれながらも、一節をブログタイトルにしてます。

運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり
何時も敵と掌にして合戦すべし、疵つくことなし
(運命とはわからないものだが、胸にある意志と行動で変わる。)

死なんと戦えば生き、
生きんと戦えば必ず死するものなり
(私利私欲なら失敗する。)

家を出ずるより帰らじと思えば、また帰る
帰ると思えば、ぜひ帰らぬものなり
(固い決意があるからこそ、また同じ場所へと戻る事が出来る。)

不定とのみ思うに違わずと言えば、
武士たる道は不定と思うべからず、
必ず一定と思うべし
(人生とは運だけで決められているものではない。自分の道は自分で考え行動してこそ生まれるものだ。)

こちらも有名な言葉です。( )は現代語に訳すと、
こういう意味なのではないでしょうか?と思います。

謙信公と言えば「第一義」の文字通り義に生きた武将です。
それだけで尊敬ですが、尚且つ戦が強く生涯戦績70戦2敗!


そして、同じく謙信公と言えば、宿命のライバル信玄公です!
死闘を繰り返す宿敵でありながら互いを認め合う盟友な存在。

死ぬ間際、武田信玄は息子(勝頼)にこんな遺言を残します。
上杉謙信とは和議を結ぶように。
謙信は男らしい武将であるから頼って行けば
若いお前を苦しめる様な事はしないだろう。
私は大人げない事に最後まで謙信に頼ると言い出さなかった。
お前は必ず謙信を頼りにするがよい。
上杉謙信とは、その様な男である。

また謙信も気分良く食事する場で使者より信玄の訃報を聞くと、
箸を投げ捨て、口の中の食べ物を吐き出して
ああ、残念な事をした。名大将を死なせたものだ。
英雄人傑とは、この信玄の様な人物を言うのだ、
関東の武人は柱を失ったも同然。誠に惜しい事だ。
と言って涙し三日間、大好きな音楽(琵琶)を止めたといいます。

その後、武田勝頼が他の武将と戦し敗北した折も、
家臣たちが謙信へ攻めようと進言しても
人の落ち目を見て攻め取るは本意ならぬことなり
と言い放ち、武田領地に攻める事は一切しませんでした。

また、信玄と敵対した今川が武田領土に塩止めを行うと謙信は、
それでは領民が苦しむ事になる。武田へ塩を送る様に
と言った事から後々「敵に塩を送る」のことわざになります。

他にも、逃げる敵を後ろから襲う事はしなかった、私利私欲
の為に戦はしなかったなど、数々の武勇伝や逸話があります。

実際は事実と異なる事もあったはず、それでも何百年も語り
継がれるのは、基本そういう人物であったからだと思います。

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