2020年6月26日金曜日

受け皿



会社のSNSに必ず「ひどいね」を付ける人がいます。

普段なら関わらず受け流しますが、何に対しても付く
「ひどいね」を見る度その人に興味を持ち始めました。

年齢や環境や気持ちを想い考え辿り着く深層心理は、
「さみしい」を「ひどいね」に変換してると思います。
それは彼でなく私も誰もが持つ心の隅にある影です。

ネットで人の世界は広がり同時に人の闇も増えました。
偽りの情報が飛び交い見えない相手を攻撃し傷付ける。
最近も、まだ若い女性が自殺する事件があったばかり。

悪口は言っても言われたくないが人の心理、見るな!
想像するな!で余計にしてしまう好奇心の塊が本質。
SNSが日常不可欠な人に気にしないは無理な話です。

基本、自分が優しくないと相手にも優しく出来ません。
心に余裕がないと何かに誰かに当たりがちになります。

平穏な日常でもそうなのに、今は不倫、離婚、DV、
虐待、差別、批判と何にでも頭にコロナが付きます。
それでも外国より平常を保つ日本はかなりましです。

マークだけならば例え、ただのひねくれで単なる
ストレス解消でも「ひどいね」をする事で少しで
あなたの気が晴れるなら「受け皿」になりますよ!
どうぞ、気兼ねなく「ひどいね」を付けて下さい。

追伸、書き込みは駄目ですよ!(笑)

2020年6月18日木曜日

宇宙ステーション

犬の散歩しながら星空を観るのが好きです。
夏が近づき夜空の星達も輝きを増しています。

先日、星空を観ながら散歩していると、
星のひとつが真っすぐに進んでいました。

たぶん、宇宙ステーションだと思います。
宇宙ステーションは90分で地球を一周します。

人間って凄いな…と
耳の聞こえない老犬に話しながら眺めました。

形は見えませんが、こちらからは星の様に見えます。
乗組員の肉眼では、こちらは大陸しか見えません。

でも、互いに見えなくても繋がっています。
知らなくても誰かが何処かで想っています。

子供はいませんが、もしいたら…
「夢は叶う」や「努力は報われる」の希望より

流れる宇宙ステーションを一緒に目で追いながら

あんな遠く星の様に見える場所にも、
誰かが誰かを想いながらいるんだよ!

だから独りを感じても人は一人ぼっちじゃないんだよ!
的な事を教えたいし、伝えたいと今は思います。

2020年6月12日金曜日

上杉謙信

四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒
しじゅうくねん  いっすいのゆめ  いちごのえいが  いっぱいのさけ
(49年の生涯は一睡の夢で、築いた栄華も一杯の酒に等しい。)

尊敬する上杉謙信公の有名な辞世の句です。
おそれながらも、一節をブログタイトルにしてます。

運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり
何時も敵と掌にして合戦すべし、疵つくことなし
(運命とはわからないものだが、胸にある意志と行動で変わる。)

死なんと戦えば生き、
生きんと戦えば必ず死するものなり
(私利私欲なら失敗する。)

家を出ずるより帰らじと思えば、また帰る
帰ると思えば、ぜひ帰らぬものなり
(固い決意があるからこそ、また同じ場所へと戻る事が出来る。)

不定とのみ思うに違わずと言えば、
武士たる道は不定と思うべからず、
必ず一定と思うべし
(人生とは運だけで決められているものではない。自分の道は自分で考え行動してこそ生まれるものだ。)

こちらも有名な言葉です。( )は現代語に訳すと、
こういう意味なのではないでしょうか?と思います。

謙信公と言えば「第一義」の文字通り義に生きた武将です。
それだけで尊敬ですが、尚且つ戦が強く生涯戦績70戦2敗!


そして、同じく謙信公と言えば、宿命のライバル信玄公です!
死闘を繰り返す宿敵でありながら互いを認め合う盟友な存在。

死ぬ間際、武田信玄は息子(勝頼)にこんな遺言を残します。
上杉謙信とは和議を結ぶように。
謙信は男らしい武将であるから頼って行けば
若いお前を苦しめる様な事はしないだろう。
私は大人げない事に最後まで謙信に頼ると言い出さなかった。
お前は必ず謙信を頼りにするがよい。
上杉謙信とは、その様な男である。

また謙信も気分良く食事する場で使者より信玄の訃報を聞くと、
箸を投げ捨て、口の中の食べ物を吐き出して
ああ、残念な事をした。名大将を死なせたものだ。
英雄人傑とは、この信玄の様な人物を言うのだ、
関東の武人は柱を失ったも同然。誠に惜しい事だ。
と言って涙し三日間、大好きな音楽(琵琶)を止めたといいます。

その後、武田勝頼が他の武将と戦し敗北した折も、
家臣たちが謙信へ攻めようと進言しても
人の落ち目を見て攻め取るは本意ならぬことなり
と言い放ち、武田領地に攻める事は一切しませんでした。

また、信玄と敵対した今川が武田領土に塩止めを行うと謙信は、
それでは領民が苦しむ事になる。武田へ塩を送る様に
と言った事から後々「敵に塩を送る」のことわざになります。

他にも、逃げる敵を後ろから襲う事はしなかった、私利私欲
の為に戦はしなかったなど、数々の武勇伝や逸話があります。

実際は事実と異なる事もあったはず、それでも何百年も語り
継がれるのは、基本そういう人物であったからだと思います。

2020年6月8日月曜日

1、あこがれの「夢は夢」
2、やれば叶う「挑戦夢」
3、行動だけの「明日夢」

3通りの夢、皆さんは何ですか?私の場合…

1は、ランボルギーニのアヴェンタドールと言う車を天気の良い休日に独り息抜きで、ゆっくりと走らせ気ままなドライブをしたいです。


2は、ピアノを習い坂本龍一さんの「戦場のメリークリスマス」を弾いてみたいです。






3は、昔していた乗馬をまたやりたいです。

と言いながら…
1は、空想と妄想の世界!(悲)
2は、そのうちと逃げ腰の日々!(汗)
3は、明日からダイエットと同じ思考!(笑)

2020年6月2日火曜日

思い通り行かないが仕事

実家近くに25年ほど前、親父と建てた平屋がある。

土地へ間取りを平面上に描くのが普通だが、
ひとり居間のテーブルで酒を飲みながら、
いきなり完成し数年経った庭や木々まで入れた
外観図を画家の様に描く親父の姿を憶えている。

チラ見し「家だけでなく樹木も上手っ!」と思ったが、
有名な建築家が建てる前に外観図をスケッチする様な、
「作る職人」でなく「造る職人」みたいな芸術的要素
親父にはあり、仕事を共にしてもそれを感じていた。

当時、私は22~23歳、建物の様式や構造など
まだ知らず怒やす親父の言うがまま朝から晩まで、
どれがどうなるのか解らないで施工をしていた。

二人で製材所から木材を選び運んでは、図面に合わせ
土台や柱、母屋や梁(はり)材へ墨で寸法を書く「墨付」
をし、それを手作業で加工する「切り込み」をする。

今は、図面メールで工程済み「プレカット」状態が
工場から運ばれ、それを現場で組み立てるのが主流。

同じ様に屋根下の化粧垂木(たるき)や破風(はふ)
柱、梁、雨戸や収納する戸袋まで加工し鉋(かんな)
で1本、1枚ずつ綺麗に仕上げる工程を何日もする。

遊びたい盛りの私は、ただただ苦痛な日々の繰り返し。

二人で毎日毎日、怒られ作業し6カ月、そんな私が
完成した家を観て素直に「美しい!」と思い、そして
「建築って凄い!」と感動しました。それまでただ仕事
するから考えや取り組み方が変化したのも事実です。

実家へ戻る際、車の速度を緩めこの家を眺めます。

だいぶ色あせましたが、自分の中で一番好きな家。
そして想い入れがあり、もう二度とは造れない家、

何も知らないあの頃でなく、それなりに知識
経験を積んだ今、手掛けたいと想う家ですが…

「思い通りに行かないが仕事」

職人で親父を越える事も、越えたいとも思いせんが
(実際、もう職人ではありません)ただ、同じ業界
同じ想いで、親父とは違う道を歩んで行くだけです。