2020年4月23日木曜日

皮肉

昔、京都で開催し定めた「京都議定書」で二酸化炭素の排出を減らし環境の汚染破壊を止めるが、世界環境問題の始まりだったと私は記憶している。

当時は、車の排気ガスやスプレー缶に含まれるフロンガスから取り組み、現在のレジ袋や細かなゴミ分別、節電やエコ活動等に至っている。

途中、オゾン層に穴が開いているや、海面上昇で南の島が水没するとか、北極か南極で白熊が溺れている等のニュースが飛び交う。

だが、時が経ち物事と真実が観え冷静に判断できる様になると、いくらアイスランドやノルウェーが問題に取り組み環境先進国になっても小さな島国や王国では物量にはかなわないと知る。

無論、日本もそうだし、だから無駄な訳でもない。

それを成すには世界中の国々、人々が同じ意識を持ち同じ方向を向かない限り困難なのだ。

単純と知りながら難しさも理解する。

その環境問題に加盟しないが物量で勝る大陸のアメリカと中国では、外出規制で40年ぶりに交通渋滞が無いとか、汚染物質のPM2.5が消えたとか、大気汚染が30%回復し空気が綺麗になったと聞く。

これは、コロナが起こした皮肉なのかも知れない。

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